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コラム Archive

つまるところ

いじめ:障害発症の男子生徒が損賠提訴 大阪・堺市にhttp://mainichi.jp/select/jiken/news/20100619k0000e040017000c.html

この事件に限らず、なんかやるせなくなってしまう。

普段こどもたちと接する機会は多いけど、自分と話すときはみんないい子たちなんだけれど、時々こどもたち同士の会話に、学校での残酷な話をちらっと耳にしてしまったりして戸惑うことがある。もちろん自分が小学生や中学生の頃にもこういういじめ絡みのことはあったことだけど、大人になってみて外からこどもたちのコミュニティを覗いてみると恐ろしさを感じる。なんでそんなことしちゃうんだろうなって。

加害者にも被害者にも直接的な原因というのは探せばあるんだろうけれど(というかとりあえず因果関係を説明するために原因を特定するんだろうけれど)、つまるところ、それがあるかないかということよりも、いじめをしてしまう原動力がきっと問題なんだと思う。

その原動力っていうのは、きっともういろんなことにうんざりしてるってことなんじゃないだろうか。友達とうまくいかないとか、勉強ができないとか、学校がおもしろくないとか。その原因は環境のせいかもしれないし、自分のせいかもしれない。でもどっちにしろうんざりむしゃくしゃしてるのはもうしょうがない。生きてること自体いろんなうんざりに溢れてるわけだからどうしようもない。でもなんかちょっとでもこのうんざりに陥らないで、ちょっとそこから離れて自分を律していられる心の持ちようを教えてくれるのがいわゆるアートってものなんじゃないかなんてことを思った。もちろんそれだけではないけど。

港区の豊岡児童館でのイベントについてのお知らせはまた後日書きます。とにかくなんかさっきこのニュースを目にして、最近よくこういうニュースが目に入ってきてしまって、何か書いておきたかったので書きました。勢いで書いたので読みにくいかもしれませんがご容赦を。でわ。

佐藤 圭佑

焦らなければ大丈夫

下の本間さんのコラム、いいですね。

フランスの哲学者ガブリエル・マルセルが「希望の現象学と形而上学に関する草案」というやたら長いタイトルの文章で、「のんびりとやる」という表現が希望というものを考える上で援けになるというようなことを述べている。人から希望を奪ってしまうのは「もうお仕舞いだ」ってような思い込みなんだろうな。

生きる意味がないってそりゃあるわけない。気付いたら生まれてて、死にたくないって状態だったわけだし。とりあえず死ぬまで死なないので、それまでなんとかこの生きるって状態を快適にやり過ごすしかないわけで。人並みに生きることが生きるということの価値であるような人もいて、それでいいんだけど、自分にそれができそうもないのなら、自分なりに死なないように生きていけばいいんだと思う。あんまり生きる意味とか、自分の価値とか、社会に有為な存在にとか、あんまりそんなこと真面目に考えて死にたくなってしまうなら、考えないで生きたほうがよかったんじゃないかなと思います。なんて言ってみるけど、でも辛かったんだろうと思う。あんまり軽率なことは言えないけど。もっと言葉を選ぶ必要あるだろうけど。哲学者の中島義道なんかどうしようもないんだかスゴイんだかわかんないかなりビョーキな人なんだけど、その女の子、読んだらちょっとは救われたりしただろうかなんて思います。

明日から慶応大の日吉キャンパスでワークショップコレクションてのの手伝いをします。http://www.wsc.or.jp/index.html

夏のワークショップのお知らせ作ったので貼らせてもらいます。

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峰さん、一番目のやつ、勝手に写真使いました。すみません。

住所録も置かせてもらうのでなんか誰か興味を持ってくれたらいいかなと思います。

でわ。

本当に、ごめんなさい。

テレビでまだ中学生の女の子が、「生きてる意味が分からない、死にたい」と言っていました。正直、ショックです。……俺も分かってないんだけど、それ。今年42歳で、生きている意味も分からず、嫁も子供も約束された収入もなく、50音の順番を並び替えるだけで金をせしめ、世間様から白い目で見られる古くてボロいアメリカ車に乗って、日がな一日インターネット・ラジオでアメリカン・カントリーを聴き、ニタニタしながら生きています。でも、そんなの分かったつもりでそれらしいことを言ってるヤツがいるだけで、本当のところは誰も分かってねぇと思うぞ。……きっと、彼女は真面目すぎるんでしょう。どんなに辛くても修行のつもりで、自分で自分を許す鍛錬を始めて欲しいと、切に願います。そして俺は、いつの日か「こんなにダメなヤツがノウノウと生きてていいんだ!」と人に勇気を与えるような、立派な人物になりたいと思います。

本間 薫

巨匠

自分は芸術家ではないので、本物の芸術家の方がこれを読まれたらお怒りになるかも知れません。しかし書かずにいられないのは、もし自分が “巨匠” と呼ばれるような芸術家であれば、心が勝手に完成させた作品を前に「これはどういったコンセプトの作品ですか?」とインタビューを受け、「俺にもわからん。しかし、こんな物を買う奴もいるんだから、金ってのは本当に価値のない物なんだな」と。ああ、言ってみてぇ……。

本間薫

至極の冗談

とあるところで、お土産に上等なお菓子をいただいた。パティシエが素材から器にまでこだわりにこだわって、丹精込めて仕上げられたそのお菓子は素晴らしく美味しく、なるほど、説明書きに “極上” と記して署名と雅印を入れるにふさわしい、実に見事な出来栄えだった。そして、その説明書きの裏には “召し上がり方” が記されており、曰く “ケースから器をやさしく少しずつ引き出し、半分の器が顔を出したら一旦止め、フォルムを楽しんでから手に取り、その手に心地よい収まり具合を確かめつつ呼吸を落ち着かせ、五感を徐々に解放させながらフタを開けて鼻を近づけ、まず香りを楽しむ”。 まったく、信じられん。……冗談だよねぇ?

本間薫

禁止マニア

近所に、小さな公園がある。これまでは大して気にしていなかったのだが、気が付くとやたらと看板が立っていた。曰く、「飼い主のみなさんへ。公園内に犬や猫等の動物を入れないで下さい。マナーを守りましょう」。その後ろには、「公園内での寝泊まり、煮炊き、飲酒は禁止する」。別の場所には禁止事項として、「車輌の乗り入れ、花火・ばくちく、夜間に騒ぐこと、寝泊まり・たき火、飲酒による迷惑、動物へのえさやり、犬を入れる、球技、タバコによる迷惑」の9つ、さらに許可が必要なものとして「テレビ・映画・商業写真の撮影、イベント・団体利用」を列記した立派な看板が立てられている。一体、この公園でナニをしろと……。そして道路沿いの空いたスペースには「駐車禁止!! バイク等の駐車は禁止します」との看板が立っているが、停めてあるのはバイクだけ。しかしながら、特にバイクが強制撤去された様子もなく、もちろん犬も猫も横切るし、サッカーの練習をする子供達や、半ば住んでいる人も見掛ける。禁止事項を乱発している割には管理者も利用者も常識で判断しているこの公園、実に好きです。誰だよ、マニアなのは。

本間薫

善き人

誰でもそうだと思いますが、アドバイスをくれる他人がいます。美術の作家さんでいえば、美大の教授やキュレーター、バイヤーといったところでしょうか。かくいう自分にも、かつて会社に勤めていたときには毎回会議室に呼んでアドバイスをくれる先輩がいました。

「もっと余裕を持って会社に来なさい」

「机の上は綺麗にしなさい」

「人にものを頼む時は、その人の目を見て頼みなさい」

その先輩が誰よりも早く出社するのは、家が遠くて電車の時間が合わず、間に合わないときには現場に直行したことにするからです。その先輩の机の上が片付いているのは、帰りしなに書類を整理せずに“ドチャッ”っと全部引き出しに放り込むからです。背中越しにものを頼んだアシスタントに謝ると、「え~と……、なんのことですか?」と言われました。誤解しないで下さい。その先輩は正しく、本当に善意からアドバイスしてくれているのです。そのことは、痛いほど伝わってきました。だからこそ、その、なんていうか、余計に、……うぜぇ。お前もちゃんとしろっての。

本間薫
大手タイヤメーカーのエンジニアを経てフリーランスのライターに。
現在アメリカ車専門誌、A-carsなどで活躍中。自身も71年式マーキュリークーガーに自分で直しながら乗るエンスージャスト。
Artに興味があり、その発言はアーティストからも好評です。

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